これは一本の川です。ハイデガーは『技術への問い』で、同じライン川が、詩人にとっては美しい流れとして、近代技術にとっては「水力を取り出すための資源」として、まったく別の姿で立ち現れると考えました。下のつまみを動かして、世界の見え方が変わっていく感じを確かめてみてください。
いま、川はそのものとして現れています。流れ、光、ざわめき。役に立つかどうかは、まだ問われていません。ハイデガーはこうした世界の現れ方をポイエーシス、つまり「ひとりでに現れ出ること」と呼びました。隠れていたものが、ふっとあらわになる。彼はそれを古いギリシャ語でアレーテイア = 隠れなさと言います。説明する前に、まず世界のほうから立ち現れてくる ―― そういう出会い方です。
いま、同じ川が資源に変わりました。流量、効率、発電能力。すべてが「取り出して、ためておき、いつでも使えるもの」として並べ替えられています。ハイデガーはこの強いまなざしを集-立 Gestellと呼びました。世界を残らず用象 Bestand = 在庫として立てさせる力です。便利ですが、こわいのは、この見方だけが「あたりまえ」になり、川がただ流れていたあの姿を、わたしたちが忘れてしまうこと。