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Heidegger ― にふれる

林間の空き地 there opens a clearing ― 明けは、すでに開かれている

ハイデガーは後期に、深い森のなかにふっと開かれた林間の空き地を、世界そのものの構造の名前にしました。Lichtung(リヒトゥング)。物がそこに姿を見せるためには、まず物が現れられる場所が ―― この空き地のように ―― 先に開かれていなくてはならない。彼はそう考えました。ただ、その場のなかに立ってみてください。

ゆっくりマウスを動かすと、開けが息づきます
現れの、その手前にあるもの
die Lichtung ・ the opening of being
これは、深い森のなかにふっと開かれた一画です。木々が立ち並ぶ闇のなかに、ある場所だけ木が無く、上から光が降りてくる――ドイツ語で Lichtung、「林間の空き地」。

ハイデガーは後期に、この風景を、世界そのものの構造の名前にしました。考えてみてください。物が私たちに「ある」ものとして見えてくるためには、まずそれが姿を見せられる場所がなくてはなりません。舞台がなければ役者は出てこられないし、紙がなければ絵は描けない。それと同じで、物より先に物が現れることのできる「場」のほうがいる、と彼は言います。光があるから物が見えるのではない。明るみがまず先にあって、そこに物が立ち現れる。

そしてここがハイデガーらしいところですが、この開けは、人間が作ったものではありません。むしろ私たち人間のほうが、すでに開かれた明けのなかに呼ばれて立っている。立つ場所のほうが、先にあるのです。

同じハイデガーの、二つの森

前期から中期 / 警戒の身ぶり
Gestell ― 集-立の暴力

シリーズの最初の まなざしのスライダー でふれたのは、世界を残らず資源として立てる、近代技術のまなざしでした。世界をすべて計算可能なものへと暴力的に取り立てる ―― この身ぶりに、若いハイデガーは深い警戒を抱きました。森は、すり潰されるべき木材になりかねないものとして見えていた。

後期 / 受容の身ぶり
Lichtung ― 明けに立つ

のちにハイデガーは、もっと静かな場所へと歩いていきます。ものをこちらから掴むのではなく、すでに開かれている明けのなかに、慎ましく立つこと。Gelassenheit(放下)――手放すこと、待つこと、開けにまかせること。同じ森が、別の表情を持ちはじめます。資源としての森ではなく、開けが起こる場所としての森。彼の哲学のもっとも穏やかな顔です。

これまでに触れてきた ―― まなざしの切り替え、乱流から立ち上がる秩序、内に映る宇宙、届かず床に残った言葉。どれも、何かが「現れる」ことのできる場の話だったのかもしれません。Lichtung は、それらすべての底にある、場の名前です。
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