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Wittgenstein ― にふれる

語り得ぬものは、そっとa cat and the seventh proposition

ウィトゲンシュタインは、こう考えました。言葉は世界を写す地図のようなもの。だから、言葉にできるのは世界のなかの「事実」だけ。けれども、私たちが本当に大切に思うものは、たいてい事実の外側にあります。試してみてください。一匹の猫に、いろんな言葉を届けてみる。届くものもあれば、猫の手前で言葉が落ちて、床に散らばるものもあるはずです。

ラベルをクリックして、猫に届けてみてください
マットの上にいる
体重 3.4kg
毛が黒い
2歳
尻尾が長い
よく鳴く
美しい
愛おしい
私の幸せ
存在の不思議
命題 7
Wovon man nicht sprechen kann,
darüber muss man schweigen.
語り得ぬものについては、
沈黙しなければならない。
沈黙は、否定ではない
tractatus logico-philosophicus ・ 7
猫に届いたのは「事実」、届かずに床へぱらりと落ちていったのは「価値・意味・神秘」でした。けれど大切なのは ―― 落ちた言葉たちは消えてはいない、ということです。猫を言葉として掴むことはできなかった。でも、そこにちゃんと残っている

ウィトゲンシュタインにとって最も重要だったのは、ちょうどこの語り得ぬ側にあるものたちでした。彼は本を書き上げたあと、ある手紙にこう記しています ―― 「私の本は二つの部分から成る。書かれた部分と、書かれていない部分だ。そして重要なのは、書かれていない方なのだ」

だから「沈黙する」を押すと、語り尽くされた事実の方が、静かに消えていきます。残るのは、猫と、床に散らばった語られなかった大切な言葉たち。第7命題の「沈黙」は、口を閉ざす命令ではなく、こうした言葉の手前にあるものを大切に守るための、敬意の身振りなのです。

この沈黙は、こうも読める

前期 / 1921
『論理哲学論考』の野心

若きウィトゲンシュタインは、言語の限界を内側からきっちり描こうとしました。「世界は事実の総体である」から始まり、言語が世界を写す仕組みを明らかにし、最後に、その地図の外側に何があるかをそっと指し示して終わる。この本で哲学の問題は片付いた、と彼は本気で考え、いったん哲学を去ります。

後期 / 1953
『哲学探究』の自己批判

のちに彼は戻ってきて、自分の前期を乗り越えていきます。言語は世界を写す地図というより、人々のあいだで行われるゲームのようなものだ、と。「語り得る/得ぬ」の厳しい線引きそのものを、自分の手で緩めていったのです。それでも第7命題の佇まいは、いまも独特の力を持って残っています。

ところで――言葉が届かないところに大切なものがある、という感覚は、どこかで聞いた響きではないでしょうか。神社の鳥居をくぐった瞬間の、あの「何か」。説明できないけれど、たしかに感じる。ハイデガーが「アレーテイア」と呼んだ、隠れていたものがふっと現れる出来事。ウィトゲンシュタインのドイツ的な厳密さも、最後はそっと、この地続きの場所に降りていきます。
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