ウィトゲンシュタインは、こう考えました。言葉は世界を写す地図のようなもの。だから、言葉にできるのは世界のなかの「事実」だけ。けれども、私たちが本当に大切に思うものは、たいてい事実の外側にあります。試してみてください。一匹の猫に、いろんな言葉を届けてみる。届くものもあれば、猫の手前で言葉が落ちて、床に散らばるものもあるはずです。
若きウィトゲンシュタインは、言語の限界を内側からきっちり描こうとしました。「世界は事実の総体である」から始まり、言語が世界を写す仕組みを明らかにし、最後に、その地図の外側に何があるかをそっと指し示して終わる。この本で哲学の問題は片付いた、と彼は本気で考え、いったん哲学を去ります。
のちに彼は戻ってきて、自分の前期を乗り越えていきます。言語は世界を写す地図というより、人々のあいだで行われるゲームのようなものだ、と。「語り得る/得ぬ」の厳しい線引きそのものを、自分の手で緩めていったのです。それでも第7命題の佇まいは、いまも独特の力を持って残っています。